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調布市あれこれ

調布市の歴史

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 縄文時代

調布市にある縄文時代の遺跡は、飛田給・下布田・東原・入間町城山など、湧き水の得られる「はけ上」(段丘と段丘、段丘と低地の境ある急な崖)に分布しています。なかでも下布田遺跡からは、縄文時代終末期(約2500年前)の墓・祭りに関する遺構や遺物が多数発見され、昭和62年(1987年)には、国の史跡に指定されています。

 古墳時代から戦国時代

4世紀に入ると、多摩川の流域では古墳が造られ始め、市内では、5~7世紀にかけて造られた、飛田給・下石原・上布田・下布田・国領南などの古墳群が知られています。地上部分は既に削られてしまい、現在は、一目で古墳と分かるものは残っていません。市内には、このころから始まる集落も多く、各遺跡からは、古墳時代から平安時代にかけての住居跡や掘立柱建物跡などが見つかっています。鎌倉時代以降は、多摩川とその周辺が、度々合戦の舞台となり、戦国時代の遺跡である深大寺城跡は、上杉氏が小田原の北条氏に対抗するために再興したものとされています。

 江戸時代

江戸時代に入ると、徳川家康は全国の交通網を整え、江戸と諏訪を結ぶ甲州街道が重要路線として整備されました。これにつれ、調布市では、国領・下布田・上布田・下石原・上石原が宿場となり、「布田五宿」として、宿場の勤めを交替で果たしていました。また、当時の調布市には18村が存在しましたが、その大部分は天領(幕府の直轄地)と旗本領でした。天保5年(1834年)には、上石原の農家・宮川家で、後に京都で新撰組局長として討幕派と戦った近藤勇が生まれています。

 明治時代

明治維新の後、調布市は品川県・入間県・神奈川県などの管轄下に置かれ、東京府に属するようになったのは、明治26年(1893年)のことでした。この間、明治22年(1889年)には、市制・町村制が施行され、調布市町と神代村が発足しました。

 大正時代

大正2年(1913年)、京王線の笹塚~調布市間が開通しました。大正4年(1915年)には新宿~調布市間、その翌年には調布市~多摩川原間、調布市~飛田給・府中と距離を伸ばしていきました。調布市はこのころから行楽地・郊外住宅地として注目されるようになり、大正12年(1923年)に起きた関東大震災以降、多くの人々が移り住み、工場も進出するようになりました。

 昭和時代

昭和の初めには、京王閣や日活撮影所などの近代的な建物に続いて、商店や料亭などが続々と出来ました。昭和6年(1931年)には、甲州街道が舗装され、昭和10年(1935年)には、稲城村と調布市町を結ぶ多摩川原橋が架橋され、産業開発と交通の発展に大きく寄与しました。

昭和30年(1955年)、調布市町と神代町が合併し、調布市が誕生しました。昭和39年(1964年)頃から、団地がつくられ、翌年には、人口10万人を突破し、世帯数も3万世帯になりました。

 平成時代

調布市は毎年のように全国で人口増加率上位都市にランクされ、市では都市計画・総合計画により、環境整備の取組みを始めました。21世紀に向け、「みんながつくる・笑顔輝くまち調布市」を目標に定め、まちづくりの取組みが進められ、平成17年(2003年)には、市制施行50周年を迎えました。

(調布市資料提供)